教育コラム005話:自己主張とわがままの境界
今日は、「自己主張」と「わがまま」のちがいについて書きたいと思います。
■「自己主張」と「わがまま」のちがいは?
例えば、買い物に行った場面を想像してみるとわかりやすいです。
「これがほしい!」と、買ってほしいものがあると告げる。
これは、『自己主張』にあたります。
しかしその後、
「親に断られてその場で泣き叫ぶ」
この行動は、自己主張ではなく『わがまま』だと言えます。
思った通りにいかない状況を、泣いてでも自分の思った通りにしようとする行動は、当初の「ほしい!」という目的は関係なく、「とにかく自分の言うことを聞いてほしい」に目的がチェンジしてしまっています。
親や支援者としては、自己主張だとかわがままだとかに限らず、「困った」状況に変わりないと思いますが、見分けがつくとそれぞれの対応が見えてきます。
それぞれの状況の対応について考えていく上で、子供たちの気持ちを想像することが必要です。
■自己主張への対応
自分の意思を表現することはとても大切です。
例えその事象が「欲しいものがある」、「食べたいものがある」といったことであったとしても、決して悪いことではありません。
多様な選択肢があふれている世の中だからこそ、自分の意思を自覚し、自分で意思決定をする経験は、自分の人生の「当事者性」を高めていくことにつながります。
周りや環境のせいにせず、自分の力で困難を切り開いていくために必要な人間力の下支えをする力へとつながっていきます。
そのため、適切な自己主張であるとすれば、頭ごなしに否定してはいけません。
とはいえ、親としてもできることとできないことがあるのが現実。
そのことを理由も含めて説明することが大事です。
「なぜダメなのか」、理由を説明して理解してもらえれば、
結果的に、自分の主張が通らなかったとしても、
その結果を踏まえて次の「自己主張」につなげることができます。
一方で、頭ごなしに否定してしまうと、「自己主張すること」自体が悪であるという印象を子供たち与えてしまいます。
これでは、その後でまた「自己主張をしよう」と思えなくなります。
■わがままへの対応
わがままに対しては、「甘やかさずに、毅然とした態度をとる」ことももちろん重要ですが、☝の話でもあるように、子供たちの本当の欲求は「物を手に入れる」ことではないかもしれません。
「とにかく自分の言うことを聞いてほしい」
そのことの裏側にあるのは、気持ち的な面での満たされなさかもしれません。
・親に自分のこと見てほしい
・自分のことを大切に思ってほしい などなど
情緒的な満たされなさがそこにはあるのかもしれません。
本当にほしいのは、「物」ではなく、大人の「関心」だとすれば、毅然とした態度が逆に子どもたちの傷を深くする場合もあるのです。
では、どうずればいいか?
・毅然とした態度は逆に傷つける可能性もある。
・だからといって、ほしいものを買ってあげたとしても根本的な解決にはつながらない。
できることは、子供の気持ちを聴いてあげることじゃないかなーと思います。
・いま、どういう気持ちなの?
・どうしてかなしいの?くやしいの?うれしいの?
そして、子供自身が話すことを否定せずに受け止めることだと思います。
その上で、
「○○は、どうしたいの?」
そうやって、自分の意思を聞いてあげることが自己主張の第一歩につながるのだと思います。
(くんちゃん)
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